しゃんもんだけん
EURO2024、オリンピック、甲子園と色々あったように、私にも色々なことがあった夏でした。
6月の終わり、義理の父が亡くなりました。 お義父さんは本と酒をこよなく愛した記者でした。その本棚のような知識量とは裏腹に、風土風習などに敬意を払い、文化を成就させる人間の営みをとても大切にする人間愛の人でした。 そんなお義父さんは祭りでも、フォーマルなレストランでも、カラオケスナックでも、さっとその場の空気に合わせて暖簾をくぐり、常連のような様子でいつでも場に馴染んでしまう人でした。 当然、私の話もよく聞いてくれて、ふたりで飲みに出かけたり、講演会を聞きにいったり、私の仕事につき合ってくれたり…お父さんの同窓会に参加したこともあったなぁ。結局いつも最後は深酒するのですが、先輩後輩のような付き合いをしてくれて、私はとても恵まれていました。 お義父さんを相手に胸襟を開き、ああでもない、こうでもないと議論していると、酔っぱらい散らかした私の話しを整理するように、優しくかけてくれる言葉がありました。
「みのちゃん、しゃんもんだけん」
しゃんもんだけんは「そうしたものだから」という意味の方言ですが、方言で使われる時は抑圧的な意味合いは全く感じなくて、共感や同情,、達観といったニュアンスを含んでいると思います。フランス人がよく口にする「C'est la vie(セラヴィ) それが人生だ」という言葉があるのですが、私にはそれと同じように聞こえる言葉です。
7月の終わり。
ソルクスを含め既存2社の経営に加えて、私は実家の会社の代表取締役に就きました。自分で決めたことですが整理がついてない部分も多く、皆さんからの声援に応えきれていないこともあると思います。
じっと考えて、いつの間にか時間が過ぎてしまっていることもしばしばありました。
そんな折、遠くからあの声が聞こえてきたような気がしました。
「しゃんもんだけん」 しゃんもんだけん。呟くと、気持ちが納まり、覚悟が湧いてきました。 お義父さんは最期の暖簾をくぐる姿もとても格好良かった。きっと、すぐにあちらの世界にも馴染んでいることだと思います(笑)。 合掌。感謝。夏の終わりに。
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