成らぬは人の為さぬなりけり

成らぬは人の為さぬなりけり。
本当にこの言葉に尽きると思う。
私たちが立つ今は、外部環境、内部環境とさまざまな要因があり、現在を構成しているのは間違いない。
さまざまな要因が運命とするならば、思考に基づいた行動は立命。
「運命はあるが宿命などないんです」と経営の神様に言われてホッとした日が懐かしい。
「人生は運命という縦糸と立命という横糸でできている」と教えていただいた。
この横糸こそ、私たち自身が紡ぐもの。
立派な布を織りたいのに、この横糸にはいつでも言い訳がつきまとう。
「やろうと思ってました・・・」「まぁ、及第点でしょ・・・」
誰か他人に対して言い訳している内はまだマシかもしれない。
やがて自分に対しても言い訳が始まる。
「こんなもんだろう・・・」
「恥かきたくないなぁ・・」 「むりむり・・・」
「お先にどうぞ・・・」
遂には、自分の人生を人にまかせ始める
「みんなそう言っている・・・」
「天を相手にせよ。人を相手にするな。(西郷隆盛)」
克己心。
先日、会社のメンバーが違う言葉で同じことを教えてくれた。
人が入れ代るシーズンがくる。挨拶の冒頭「微力ながら・・・」の枕ことばが当たり前のようにつく。
下手をすれば挨拶の度につきまとう。
これは「言い訳」だと思う。
力がある人間が「微力ながら」というので、謙遜の徳が生まれる。
「定型文じゃないですか?」といわれるかもしれないが、そこに魂が入っていれば、言葉も変わってくる。
うすっぺらほど、物まねになる。
「岩に這いつくばってでも目標を成し遂げたいと思っているので、努力邁進する」の意味あいがあれば、どんな言葉でも、その方が100倍も期待できる。
自戒の念も込めながら。
そして、縁あって一緒に仕事をすることになった仲間にも、このマインドが習慣となり、さらなる活躍の機を興してもらいたいと心底思っている。
なんと、クリスマスのアピールへとつづく。
為せば成る(笑)
クリスマスディーナーコースから!