2つの土産を持って帰る
冬空の合間に、晴れの日が続くと本当にありがたく思います。 SOLLUXよ、ありがたや。 読書は心の食事と言われますが、意味ある文章からは未だに目からウロコの発見がザックザグです。死ぬまでそうだと思うと、食べる楽しみ同様、心の食事が楽しみになります。この心の食事にすらワインってよく合うんだから、ワインのマリアージュの幅は止むことを知りません(余談)。 モヤがかかっていた状態がクリアになり、ある真理を手中に収めたかの気になり、心がパワーを発します。 「ある真理」に気付くことはとても素敵ですが、いつの間にか「ある真理」の意味は薄れてしまって、また元の自分に戻ってしまう。大袈裟に言うと開いた悟りが閉じてしまうようなことってよくあります。 そうならない方法を編み出してやろうと躍起です(笑)。 ある真理に「お!」と思うということは、反対に必ず固定化された概念が存在すると思います。 「真理」は自分を中心に軌道を回っているようなものなので、その真理とバランスをとっている「反対側の概念」も明確にすることが、真理を衛星として飛ばし続ける方法ではないか?と思うのです。 新しいものを発見して嬉しい時は、どうしてそれを発見できたことが嬉しいのかが一対です。「発見」と同時に「発見を発見させたもの」の明確な存在の認識。この裏の存在の方がむしろ決め手? 前段、ワインのマリアージュ(食事との相乗効果)の話をしました。ワインと料理の相乗効果を知った時、これは凄い!と思ったのは衝撃でした。今もこのマリアージュを多くの方に伝えたいと考えていますが、これがなかなか難題です(笑)。 ワインが持つテロワール(気候、土地、品種、造り手の哲学)のアピールが小難しく感じさせていることは元より、白は魚、赤は魚と婉曲した方程式が正解と伝わっていたり、日本の気候や文化では豪快で爽快なイメージが「のどごし」、「きれ」、「さっぱり」など味わいの表現になってしまっていることなど動かし難い概念を認識することこそワインをより適切に伝える近道である!→上記の話の例えになるでしょうか。 「焼き肉にビール」「鍋の〆は雑炊」これこそ、食の相乗効果ですものね。それと全く同じ喜びがワインと食のマリアージュにあると期待されると、それは違うと個人的には答えています。が、あの喜びに勝るとも劣らない新しい喜びは確実に存在します! ワインを理解するのは素晴らしいこと!ですが、ワインを理解し難くさせている概念を肯定的に理解する!実際、双方に仕事のチャンスが存在しますし。 ワインの話が余談にならなくて済みました。 「2つの土産を持って帰る」 合言葉にして、今日も仕事の中からたくさんの真理に触れたいものです。