友よ
親友と言える友は何人いるのだろうか? 良くも悪くも今や数人しかいない親友が2014/2/12に亡くなりました。 追悼したいと思います。
死はいつでもショックであることは違いありません。対面した一人ひとりとのお別れに意味を見出すことで、ショックを価値に変えてきたのだと思います。その経験が死に対する耐性のようになっていくのでしょうか。 友の死に私は何も意味を見いだせずにいます。 意味を見いだせないというのは、「生というエネルギー」により創造されたものが思い出以外に見つけることが出来ないということ。死んだ人間に非常に手厳しい発言と思われるかもしれませんが、そこは旧知の仲。笑って許してくれるはず。 生の意味が見つからないと死は理由もなく、今度は自責の念をかり立てます。 死んだ友の身になって思考を始めますが、居なくなった事実は友を思いながら実は自分の思いという真実を突き付けてきます。 そう。彼が生エネルギーで創造したものが無いといっているのも、所詮、私が彼の許しを得ずに勝手に思っていることに他なりません。 ゴメンな。
ジョブスのように「明日死んだら・・・」と、凡人な自分は思うことはできないですが、命が有限であるということに強く思いをはせながら、今日の仕事を創っていきます。 それが私の生きた証だから。
死は今日の価値を上げてくれるもの。 ありがたいもの。
彼の分まで生きようと思います。 合掌。
そして、さようなら。