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妥協とは

少し大人になり始める中学生活3年間、クラス替えを挟んでもずっと同じ先生に担任をしてもらいました。今、市民マラソンランナーとして話題になる川内選手の叔父にあたる方です。

川内選手の走り同様、瞬間瞬間を人間らしく全力で生きておられる先生でした。その危なっかしさに生徒である我々も思わず苦笑いをしてしまうほど。川内選手の走りをみていると、容姿が似ている以上に、あの時の先生の突っ走り感を思い出します(笑)。

先生は理科が専任でしたが、私は先生から理科だけでなく「人間」や「人生(女性のことを含む)」を教えてもらいました。あの時間は私に関わらず、クラスメイトにとっても宝であったことの証明として、今でも中学3年生の時の友とは事あるごとに連絡を取り合う仲です。

その先生が私たちを魅了していたのは何なんだろう?とふと考えます。大人になりかけの私たちに先生はいつも敬意を払ってくれていました。そう、今の言葉で言えば、私たちをリスペクトしてくれていたのです。成績がいい生徒、まとめるのが上手い生徒、運動ができる生徒、たまーに学校に来ることでそれが特別なことに感じさせる生徒、etc.今起こっている全ての素晴らしい部分を心から喜んでいました。そして、全ての状況を一歩前へ、一歩前へと誘ってくれました。そうなると集団とは自分の役割を全うしつつも、他に役立てるよう不得意な部分もできる範囲での貢献をしようと考えるようになるのです。 結果として、漢字テストも合唱コンクールもリレーカーニバルも球技大会も本当に強かったぁ。

もう少し大人になった高校生時分、ある先生が「妥協が人生の中で最も大切」と教えてくれたことがあります。「妥協」大人びたその響きをゴクリのみこみ、同じようなことを随分と口ずさんだこともあった気がします。私がそう教えられたということは、他に同じことを言われた仲間もたくさんいると思います。それが信念にこびりついてついてしまった被害者もいることでしょう。

妥協は中庸、普通、並みとも類をなす言葉かもしれません。 助けてくれた人のおかげで、私も38年間生きて来たけど「普通」なんて一度もなかった。無いものが最も大切なんてよくぞ言ってくれたもんだな、バカヤロー。信じてしまったじゃないか。

妥協するためには、何にしたら解(かい)が出るのか答えが要る(正解主義)。自分の知能や可能性を固定的にとらえる→努力しなくてはいけないのは自分が弱点をもっているから→容易に達成できそうな目標を選ぶ→困難な課題には「お手上げ」する。 こんなに立派な可能性を与えてもらえているのに罰があたりそうです。 知能や可能性には「拡張性」があるんです。人生にとって大切だと思われる能力を向上させるために人は努力や応用を惜しまない。自分の解答をみつけるために極めて独創的なアプローチをする。「お手上げ」どころか「さらなる成熟」が生まれる。もちろん、難問が解けないことを何のせいにもしない。

話しは元に戻ります。 私の恩師は、私たちの無限の可能性を拡張知能として教育に当たってくれました。妥協が最も大切と教えてくれた先生は私たちの知能を限定的、固定的な知能として接していたのだと感じます。 「教育」の大切さを説かれて、我々のような商い人にも影響を与える教育者で哲学者の森信三さんは名著『修身教授録』の中で「動かない車は鉄くずと同じ」「死後に自己の精神を働かせるためには、生きている間に思い切り自己に徹すること」「生きることの秘訣は唯一者であることの自覚」など、自己の精神修養の大切さを唱えておられます。 今年もこうして暮れていくことに、ありがたさと幸せを感じながら、決して妥協せずに歩みを進めていきたい。もちろん、協調や調和はそこに築き上げていこう。そうして、いい歳になってきたので、私たちの仕事の姿を見た次の世代の可能性がもっともっと開くことに期待が持てる新しい年にしたいとつくづく思います。 そして子どもたちよ、少年少女よ、大志を抱け! せめて出会えたみんなだけでもそう思えるように、今は中小零細企業ですが、おじさんまだまだがんばるよ!

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