始まったら終り
月初朝礼でスタッフが「始まったら終わったようなもの」という趣旨の発表をしたのがとても印象に残った月でした。 丁度その日は新規に取得したものがあり「中古」の話をしようと思っていた日でした。結局、先の発言でコト足りて、私は何もいいませんでした。 新築の家も新しい車も手に入れて一度使えば、もう「中古」です。手に入れる前だけ「新」がつきます。それがある種の大きな価値です。 そういう意味では、新しい月になる前に新しいの一カ月をありったけ想定することが楽しみなのです。夏になる前に夏のことを時間の限り考えよう。そう価値を確かめます。 「始まったら終わってしまいます」。これは名言です。 加えて言うなら、「新」が付かないけど価値を創出しているものを私たちは大切にしなければなりません。何かと新しいことばかりしか価値が測れなくなっていますが、自然や土地、家族…。「中古」の自然や「中古」の家族っていいませんものね(笑)。
むしろ古くなるほど「親」や「心」を感じます。
そこに凛として価値を育んでいる。 大地にそびえる大樹のように1回休みのない会社経営もまた同様
桜色
成長社会のなごりなのか、物事を白か黒かと答えを付けたがる傾向が未だにははびこっています。
ブラック企業、ホワイト企業。
無論、ブラックなつもりは毛頭ありません。 しかし、一般の方が休んでいる時間が出番となる我々サービス業の人間としては、少なからず一方的に突き付けられる快くない響きです。 そんなことを考えている新年度に満開に咲くピンクの桜は憂いも汚れも一掃してくれる天国のような景色です。 先日も人生の先輩に、「いい季節ですよね、春は」と挨拶すると
「願わくば 花の下にて 春死なん…」と先人の詩を教えていただき、妙に腑に落ちました。 この桜が我々の心を和ませてくれるように、我々自身の笑顔、言葉、心遣い、仕事の姿勢が人の心を桜色に染めることができればどんなに幸せなことか。
何も求めず、咲いたと同時に散りゆく桜に、常ならんわが身の心得を正されました。
この桜の木の如く。無財の施しから。
和顔施。