旅立つ友へ
折しも旅立ちの季節。
月が変わると親友といえる友が死んで49日が過ぎようとしています。
本当に旅立つ友に、さようならをいう為に、ここを使おうと思います。
絵はかけないので、言葉で彼の肖像を残しておこうと思います。
言っておくけど、大切な時間を使って。
母さんが乗る
自転車の荷台で
僕は大空の操縦士になる
しっかり目をつむって
両手を大きく広げるんだ
風をきって、ブーン
夕日に向かって、ブーン
まっすぐ、まっすぐ、ブーン ブーン
ブーン、ブーン、ブーン
どこまでも飛んでいけるんだ
大空へ飛び立った友よ。
お前のこと最期まで心配していたお母さんのところで、平安に過ごしてな。
じゃあ、な。
能動と受動
示されているコトが嫌なのか?
示している人が嫌なのか?
・・・・・
示されていることに違和感を覚えたなら大いにディスカッションしましょう。
そのコトはもっともっと良くなります。
示している人に違和感を覚えるなら、その人と一緒にいるのをみずから辞したらどうでしょうか?
自身でコト創りを始めるといいですね。
拒否について考えました。
ミッションに価値を付加するのは自分しかいません。
同じヴィジョンやミッションも人は受け取り方でその価値を決めてしまう。
受動態で示されたコトに対する拒否反応は個を守る上で元来人間が備えているものかもしれません。しかし、それ故に全体が良くなるためのミッションやヴィジョンを享受できないのは愚かですね。当然、アクションにつなげることもできないし、むりやりアクションしても理念なき行動はハクションぐらいの意味しかないかも。
だから、常に能動態な人でいたいと思います。自分から拾いにいったコトなら、結果として誰かが示してくれたコトと全く同じでも、入口が違うだけで
Le nez du VINより
Le nez du VIN(ワインの香り)より 今もなお、東日本大震災による被災の影響を受けておられる皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
この1週間は震災に関する「風景」映像が多かったため、私の心の「風景」とも言える写真を探していたら、見つからず、ワイン畑でいきいきする青年の写真がでてきました。
私です。
ワインとブドウ畑は、人生のいろいろを教えてくれました。過大表現ではなく、本当に。
ワインに詳しくなり、テイスティング能力を磨き、更なる深みへと探求を進めることに一生懸命だったころの写真でしょうか。
目の前のことに必死な時は何に魅せられているか分からないままでしたが、ある時、
「ワインとの出会いは人との出会いと一緒」
と気付き、とても豊かになれました。
さまざまな環境で育ったブドウはワインとなり、外観(見た目)でそのワインと成りを出会った私たちに印象づけます。人の雰囲気にも似た香りという特徴により、そのワインの個性にずっと迫っていくことができます。そして、口にいれて、ワインの構成、バランスなど、より特徴的
人の思い
人の思いって大切ですよね? 会社の朝礼などでもよく話をするのですが、このテーブルも椅子も台ふきも、ファッショナブルなものも、機能的なものも、おいしいものも、いまいちな味も、コレもソレもアレもみんな、みーんな、どこかで誰かがそれをイメージして、企画を立てて、お金を使って出来たもの。 Products(製品)は全て人の思いから始まっている。
それには、「資本」がお金や人、諸々を引き寄せ、利便を提供して、また利益を生み出し、新たな仕事を引き寄せるという循環を生んでいる。という見えざる不思議が下支えしているんですよね。 利便も利益も生みださない資本は不思議も頭脳もない「資金」であり、仕事の上では悲しいお金です。
お金の話がしたかったのではなく(笑)・・・
あの大資本会社「アサヒビール」さんのビールにアサヒスーパードライではなく、「アサヒ樽生(通称青ラベル)」っていうのが存在するのはご存じですか?缶ビールも存在しないし、積極的な営業は全くない商品です。この情報化社会において、ネットでの商品説明なども殆ど皆無。
滅多に見ないのですが、