

去年今年、貫く棒の如きもの
去年今年(こぞことし)、貫く棒の如きもの 中学生の頃、松江市作文コンクールで「短歌」を堂々と出品した私。
もちろん、好きです。こういうの。
高浜虚子の有名な句ですが、この時期になると、寺の鐘のように心に響きわたります。 ゆく年を思い、人々はやり残しのないように残りの数日、懸命に意識を集中させる。
ここに来て、やっと。
来る年を思い、師走の雑踏に理由のない焦燥感を覚え、事故やアクシデントがそこらじゅうで起こる。
「来年こそは!」と新しい人生でも始まるかの如く目標の種火を燃やし始める。 いつの時代も同じだったんだと思います。
その真理を虚子は冷淡に且つ、的をついて俳句にまとめたのでしょうか。 新年とは、忙しい我々が心落ち着かせ、他に感謝したり、我を省みるのに大切な節目であるのは間違いありません。
その価値をあげるためにも、この句にもあるように「貫く棒の如き」信念をもって、まさに新年を迎えたいものだと感じるのです。
その「貫く棒」がなければ、この句に読めるもう一面「新年も昨日から今日に変わるだけなのに、今になって焦


おかね
彼女へ、奥さんへ、子供たちへ、クリスマスプレゼントは買われましたか?
プレゼントっていいですよね。価格よりも、気持ちがこもっているところが!
プレゼントの価格を気にする人にはお金をあげた方がいいくらいです。
お金って。。。
「お金は充福感の必要条件ではあるが十分条件ではない」
中学生の数学でならった命題みたいになっていますが、この通りだと思います。 お金は決してダーティーなものでもなんでもない。
この命題が証明しています。 でも、僕らはお金についての教育を殆ど受けてきませんでした。
役に立たない数学の公式は嫌というほど覚えました。本当は数式よりも、数字がもつ哲学を教えてほしかったな~。素粒子の中身って数字でできてるんです(川中仮説 笑)!だとか。 そして、社会に出て、お金と出会い頭に日々喧嘩をすることになる。
売上~ 給料~ 利益~ ・・・・・・・・・・・・・・・・。感情まで揺さぶってくる。 お金と決闘してたらお金も好きになってくれるハズがないですよね。
と、続きはお会いした時に仕事の話しとしてさせて


成らぬは人の為さぬなりけり
成らぬは人の為さぬなりけり。 本当にこの言葉に尽きると思う。 私たちが立つ今は、外部環境、内部環境とさまざまな要因があり、現在を構成しているのは間違いない。 さまざまな要因が運命とするならば、思考に基づいた行動は立命。 「運命はあるが宿命などないんです」と経営の神様に言われてホッとした日が懐かしい。 「人生は運命という縦糸と立命という横糸でできている」と教えていただいた。 この横糸こそ、私たち自身が紡ぐもの。 立派な布を織りたいのに、この横糸にはいつでも言い訳がつきまとう。 「やろうと思ってました・・・」「まぁ、及第点でしょ・・・」 誰か他人に対して言い訳している内はまだマシかもしれない。 やがて自分に対しても言い訳が始まる。 「こんなもんだろう・・・」 「恥かきたくないなぁ・・」
「むりむり・・・」 「お先にどうぞ・・・」 遂には、自分の人生を人にまかせ始める 「みんなそう言っている・・・」 「天を相手にせよ。人を相手にするな。(西郷隆盛)」 克己心。 先日、会社のメンバーが違う言葉で同じことを教えてくれた。 人が入れ代るシーズンがくる。挨


温泉たまご
先日、酒販小売組合から、 「顧客に『シャンパンください』と言われた時、シャンパーニュ地方産の発泡性ワインでないものを進める場合は必ず『シャンパンと似ている造り方をしているスパークリングワインでもよろしいですか?』とたずねるように。そのままシャンパーニュ産でないスパークリングワインを販売した際は、虚偽表示行為にあたります」という御達しが来ているのを目にしました。 フランスは原産地統制呼称法(AOC)が確立しているから、カマンベールやシャブリといった原産地方名がそのまま生産物の名前になっているケースが多いです。 我々が聞くと、「へぇ~」というトリビアものの知識も「虚偽表示にあたる」と御達しが来るのが、なんとも滑稽ですよね。そもそも、ケースバイケースで言葉選びたいところです。泡の出るワインの総称が日本ではシャンパンと言われているという事実もありますし。。 今日、うどん屋でたまごをトッピングで頼んだところ、「生たまごですか?温泉たまごですか?」と。
「温泉たまご」を選びました。
温泉たまごは、あの状態を温泉たまごというのか?温泉地でつくってい
観念と信念の違いとは
「信念」がないと何事も成就しない。 人生の半分にさしかかりましたが、これだけは真実だと思うのです。
人のイメージには「観念」というものもあります。
この二つの明確な違いを、ある時からいつも探していました。 先日、資料を整理していたら2009年に経営の大先輩がくれた資料が目に留まりました。そして、そこに私にとっての答えが用意してあったのです。 『ストックデールの逆説』 観念により生じた多くの事象は失敗を招き、経験はやがて信念を創る。 イメージが観念や失敗を経由しなくても信念に直結できるように。 なぜならば、可能性は無限だが時間は有限だから。 そして 「願望」を必ず「信念」でロックせよ。


名前を決めるということ
こんにちは。 何かに名前をつけるのって結構、迷いませんか? 幼稚園の時に我が家にやってきた犬に「レインボー」と私が命名したのですが、1週間たっても無視を決め込むので、結局里親で呼ばれていた名前に戻されることになりました。 店を創る、会社を創る、子供を創る・・・もとい。子供が生まれる。 必ず名付けが必要になります。 名は体を表すといいますから、それなりに名付けには慎重になりますよね。 私には子供が3人。 一人目は字画を研究。1点修正して完成。 二人目も、それはそれは綺麗な名前!と喜んでいたら漢字修正要請・・・。子を思えばこそ、生まれてからも2日間決められずにいましたが、「自分の子の名前を人に決められてたまるか!」と奮い立ち、当初考えたままの名前をつけました。今は、そうして本当によかったと思っています。 三人目。字画のことなど全く気にせず。 会社を創るときも、いよいよリミットの朝まで決まりませんでした。子供を名付けた経験からか、「名前は決めるものじゃなく、名前は決まるもの・・・」と。 そうすると、来るんですね、やっぱりその瞬間が。スーッと。 もう忘れ